1980-11-05 第93回国会 衆議院 外務委員会 第6号
特に私は、シベリア地方のブラーツク、それからイルクーツク、ハバロフスク、ノボシビルスクという四つの都市へ自民党代表団六十人の団長として参りましたときに、向こうの連中が出てきてしきりに言うことは、あなた方は中国と尖閣列島をたな上げにして条約を結んだのだから、北方領土をたな上げにして、われわれとも平和条約ではなしに善隣修好条約を結ぼうではないかということを言いました。
特に私は、シベリア地方のブラーツク、それからイルクーツク、ハバロフスク、ノボシビルスクという四つの都市へ自民党代表団六十人の団長として参りましたときに、向こうの連中が出てきてしきりに言うことは、あなた方は中国と尖閣列島をたな上げにして条約を結んだのだから、北方領土をたな上げにして、われわれとも平和条約ではなしに善隣修好条約を結ぼうではないかということを言いました。
そうするとそのときに北方領土、平和条約でないと結ばないといういまの外務大臣のお話の勢力が崩れていって、そうではない、善隣修好条約でいいじゃないか、こういう、もう大阪、東京では大体中道政治が中心になって知事選挙でも始めたのを見てみますと、大体中道ラインに入ってくる。特に公明党が善隣修好でいいじゃないかというような話をなさっておられますから、その方向にこれから入ってくる。
それでは、たとえば平和条約、これからソビエト、私は五年前に共同声明を出した中国との条約よりも、二十年前に共同声明を出したソビエトとの条約というのが本当は先ではないだろうか、順番が間違ったのじゃないだろうかと思いますが、いま日本の方からは北方領土返還、平和条約と言うのに対して、向こうからは北方たな上げ尖閣方式、善隣修好条約、私が昨年ソビエトへ行ったときにも向こうはしきりにそれを申しました。